広島赤十字原爆病院にて

広島赤十字原爆病院にて

7月8日(水)はHold Handsさん主催で広島赤十字原爆病院にて、プラネタリウムを行いました。日本財団と日本歯科医師会のチャリティプロジェクト「TOOTH FAIRY」にご支援をいただき実施しました。午前中は外来のお子さん対象で講堂にて4mドーム。こども4名、おとな11名。こども1名、おとな3名。午後は入院中のお子さん対象でプレイルームにて天井投影。こども3名、おとな15名こども2名、おとな3名地球ごまと星座カードのワークショップも開催しました。星つむぎの村からは、真理子さん、ひでりん、えりさん、あきこ。
Hold Handsは、村人でもあるえりさんが立ち上げられた小児がん支援団体で、病気のこどもたちも取り残されることのない社会を目指して活動をされています。今回はえりさんと數田さん親子が参加。えりさんのお子さんのしんたろうくんが2019年に広島赤十字原爆病院に入院していた際に、星つむぎの村のプラネタリウムをみる機会がありました。その時にお手伝いにきていたひでりんが今回も参加。
以下、ひでりんからのレポートです。
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7月8日広島赤十字原爆病院の追加報告です。7年前、小児病棟て行われたプラネタリウムで、こんな出来事がありました。
その日は高橋さんがおられなくて、跡部さんが宙先案内人でした。たった一人のお手伝いの私は緊張しっぱなしでした。無事終わってホッとしていると、プラネタリウムを観てくれた一人の男の子がお礼にと、手作りのビーズストラップをくれました。「ただ手伝いをしただけの私がもらっていいのかな?」と一瞬思いながらも、「ありがとう!」と受け取りました。当時、私は公私共にしんどい時期で、かなり凹んでいて、そんな私には、男の子の「ありがとう」はとても心に響きました。
翌日から、もらったストラップは私の相棒となりました。職場に持って行くカバンの内ポケットにはいつもストラップが入っていました。先日、妻と2019年の話をしていて改めて気づいたのですが、その年は本当にいろいろなことが起きました。厄介な仕事で忙しかったことに加え、母をはじめ、身近な人が次々と亡くなったり、妻も大きな手術をしたり、私が体調を崩しそうになったり…。それでもその年の暮れにはいろいろなことが落ち着き、少し先が見え始めてきました。私は自然にもらったストラップのおかげかも?と感じるようになっていました。以来、退職まで、そして次の仕事に変わってからも、ストラップはずっと私の仕事カバンの内ポケットに入っていました。

それから5年ほどが過ぎたある日、村のZOOMで話をしていたとき、安藤晃子さんから2019年の広島赤十字原爆病院でプラネを観た男の子とお母様の話が始まりました。最近、晃子さんがそのお母様と知り合ったこと、プラネの当日は高橋さんが山梨に戻られたので跡部さんの解説だったよねなど。最初は何となく聞いていた私でしたが、「そう言えば、私手伝いに行きました。そのときビーズのストラップをもらって…これこれ!」と皆さんにストラップを見てもらいました。晃子さんがすぐにお母様に確認してくれて、長期入院していた息子さんが作ったストラップで間違いない!となり、数日後、たまたま岡山でプラネが行われた日に、広島からお母様が会場に来てくださり、ビーズストラップと感動の再会となりました。お母様は本当に嬉しそうでした。私は、ビーズストラップを作ってくれたのは吉川(きっかわ)眞太郎くんだったこと、眞太郎くんは少し前に亡くなられたことを知りました。本来なら、眞太郎くんは小学校6年生の歳で、光村の国語の教科書で勉強するはずだったことを知った跡部さんは「眞太郎、これ持って帰って読め。」と教科書をもらったお母様は本当に嬉しそうでした。
その後、お母様の吉川えりさんは広島県の村人第1号となり、小児がん支援団体Hold Handsを立ち上げられ、今回はその主催でプラネが行われました。午後の投影は7年前と同じプレイルームで、棚の上には吉川眞太郎くんと安藤佐知ちゃんの写真が置かれていて、プラネを一緒に観てくれていました。
村のHPの寄付のページにもプレイルーム前の集合写真がありますので、ご覧ください。
水色のシャツの男の子が眞太郎くんです。嬉しそうで、誇らしい顔をしていますね。
https://hoshitsumugi.org/donation/
その後、眞太郎くんと山梨のアルリ舎に行きました。お母様、まだ来られたことがないので、また、一緒に来てね。
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続いてえりさんからのレポートです。
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「みんなを笑顔にしたいんよ」いつも息子眞太郎が言っていた約束を一つ叶える事ができました。2019年に病棟のプレイルームで見た星空、その時の眞太郎の「母さん!すごかったね!オレ星飛ばしたんよ!」毎日続く治療、閉鎖された病室でずっと過ごしていた眞太郎のあんなに嬉しそうな笑顔は移植後初めてでした。

それから2023年眞太郎がターミナルに入り、あきこさんとの出会いがありました。ほどなく眞太郎は旅立ち翌年2024年にあきこさんから岡山で開催されると言う事でお声かけいただきドームで初めてプラネタリウムを体験し涙が止まりませんでした。「みんなを笑顔にしたいんよ」そう言った眞太郎、あの日病気も忘れ思いきり楽しんだ時間、子どもたちの笑顔、一緒に体験した付き添いをしている家族の想いを私に思い出させました。哀しんでる場合じゃないよ!母さん!オレと約束したよ!眞太郎がそう語りかけてきました。

そして病棟でプラネタリウムを開催した時に眞太郎が村人の方へお礼がしたいと渡した眞太郎手作りのビーズストラップは偶然にも岡山の村人佐藤さんでした。眞太郎との5年振りの対面でした。佐藤さんから、「あの日からいつも私と一緒なんです、いつも勇気をくれています」そうお聞きし、眞太郎はずっと誰かに今も勇気を与えているんだと感じる事ができました。この日、私は小児がん支援を必ず立ち上げると眞太郎に誓いました。

その誓いから2年、私なんかが立ち上げなんて無理なんじゃないか…そう思った日もあります。ですが、ターミナルに入って眞太郎が起こした奇跡、それはいつも生きていると眞太郎が感じる事ができたからです。生きる希望、ひととき病気を忘れ自由になる心の時間眞太郎が感じたようこれからもその想いを忘れず、子どもたちご家族へ笑顔を届けていきます。

この度、ご協力くださった村人の皆さまありがとうございました。
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お子さんも付き添い家族も医療スタッフさんたちも、みんなで一緒にフラットなこの空間に寝転んで星を見上げました。しんたろうくんが入院していたこの病院に、星つむぎの村のプラネタリウムをぜひ呼びたいと尽力いただいたHold Handsのみなさま、広島赤十字原爆病院のスタッフのみなさま、お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。