カリヨンの杜にて

カリヨンの杜にて

10月27日、さいたま市にあるカリヨンの杜にお伺いしました。星つむぎの村の高橋、跡部、村人の藤田優子の3人でお邪魔しました。
施設に携わるあらゆる職種の方が、お迎えしてくださりご挨拶くださり、とても温かい気持ちで行うことができました。
藤田優子からのイベントレポートをお送りします。

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カリヨンの杜は、重い障害のあるお子さんの医療型入所施設です。
我が家の長男一樹も重心児ですので、どんな場所なのかなぁと少しどきどきしながら参加しました。

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息子は生まれてから4ヶ月をNICUで過ごしました。
元気な赤ちゃんの泣き声が響き渡る産科病棟と違って、NICUのドアの向こうはとても静かで薄暗く、その静寂のなかに機械の音だけが響き渡る空間はまるで別世界のようでした。機械に囲まれて静かに眠る我が子に会いに行く日々は胸が苦しくて、NICUのドアを開けるのはいつも大きな勇気が必要でした。
あの静寂が、機械の音が、アラームが、そしてたくさんの管につながれて眠る我が子の姿を見るのが怖くて、ドアを開けられずに引き返した日もたくさんありました。
本当に苦しい日々でした。ところが在宅になってしばらくしたころ、お尋ねしたいことがあり病棟に電話をしたことがありました。
そのとき電話の向こうから聞こえてきた呼吸器の音やアラームの音を聞いた瞬間、その賑やかな静寂がどうしようもなく懐かしく愛おしく感じて、嗚咽するほど泣いてしまいました。それは自分でも理解できない、不思議な出来事でした。

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カリヨンの杜で出迎えてくださった方に案内していただいたのは、医療的ケアを必要とする重い障害をもったお子さんたちが長期で入院する病棟でした。一歩足を踏み入れた瞬間、懐かしい音があちこちから聞こえてきて、その音とともにある力強い息遣いを感じて、胸に熱いものが込み上げ、胸がいっぱいになりました。
久しぶりに感じる賑やかな静寂は、決して怖いものではありませんでした。そこには言葉はないけれど、あなたは誰?
どこから来たの?
それなぁに?
今日は星見るんでしょ?
どきどきするよ!
たくさんたくさんおしゃべりが聞こえてくるような気がしました。教員だった頃、新しい教室で初めて会う子どもたちに囲まれるときのような気持ちを思い出して、嬉しくなりました。

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遮光のお手伝いならできるかな、と思って参加した私ですが、カリヨンの杜の方々はすでにすべての部屋に完璧に遮光をした状態で待っていてくださいました。着いた瞬間から役立たずになった私は、いったい何をしに来たんだろうかとだいぶ所在ない気持ちでした。
唯一見つけた仕事は、コンセントを挿すこと。
私は今日はコンセント要員だ、と自分に言い聞かせて、一生懸命コンセントをさしました。でも。投影が始まって、いよいよ役立たずになった私が開き直って天井を見上げたら、たちまち役立たずだったことさえ忘れて満天の星空と真理子さんの語りにすっかりひきこまれてしまいました。そして、
ああ、私は今日、遮光をするためでもコンセントを挿すためでもなく、この場を共有するためにここに来たのか、
つまり、この人たちと出会い一緒に星を見るためにここに来たんだと、とても明確に、そう気がついたのでした。

4つのお部屋を回って4回投影しましたが、真理子さんの語りも、跡部さんの紙芝居も、毎回少しずつ違います。
それは、それぞれのお部屋の空気や雰囲気が違うからです。
決して「レパートリー」というような形式的な変化ではなく、そこにいる人たちの息遣いに呼応するかのように自然に言葉が紡ぎ出される様子、見る人の息遣いが、部屋に満ち溢れる幸せが、よりプラネタリウムを豊かにしていく様子を目の当たりにして、
「リアルな場」が生み出す力をひしひしと感じるとともにそうか、真理子さんと跡部さんも一緒に星を見上げるために来たんだなあと思いました。
星空を見せに来たんじゃなくて、一緒に見るために、来たんだなぁと。最後の投影前の紙芝居、跡部さんの
「カリヨンの杜の皆さんと一緒に星を見るために来ましたよ」という言葉が、ストンと、腑に落ちたのでした。

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ここにいるお子さんたちは、そして私の息子は、誰かの力を借りなければ生きていけません。
ひとりでは決して生きられない、圧倒的に弱い存在です。そういう命は何のために生きているんだろうかと、初めて自分のなかに疑問が湧き上がりました。それを問うことは私にとって意味のないことだと思うことにしていたのですが、愛おしくてたまらない息遣いに囲まれながら星空に包まれていたら、この問いを考えずにはいられなくなったのです。
答えが見つかりそうな気がしたのです。

息子が何のために生きているのか
それは分からないけれど、
私が何のために生きているのか、
それも分からない。だから探している。
みんなみんな、自分の生きる意味を。

息子は幸せなんだろうか?と分からなくなるときがあるけれど、
私は幸せなんだろうか?と苦しくなるときもある。だから探している。
みんなみんな、幸せのかたちを。

息子は誰かの力を借りなければ生きていけないけれど、
私も誰かの力を借りなければ生きていけない。だから探している。
みんなみんな、こころを繋ぐ仲間を。

それが、広い広い宇宙のなかの、たったひとつのいのちの星の姿であり、それこそが、この宇宙の片隅に生きるいのちの姿。たまらなく愛おしい、いのちの姿。あなたはわたしで、わたしはあなただからここで一緒に生きてる。

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お医者さんも看護師さんも保育士さんも、栄養士さんも事務さんも、そして家族の方も…みんなが一緒に、満天の星空に歓声をあげ、宇宙から見る青い地球にため息をつき、迫る火星を押し返し、そして地球に帰るときにおのずと湧き上がる懐かしさや安堵や愛おしさで胸がいっぱいになり、静寂に包まれる…あのとき私の耳に飛び込んできたのは、電話の向こうからたくさんの仲間たちが「ここにいるよ」って言っている息づかいだったのだと思います。
息子もあのドアの向こうで一生懸命「ここにいるよ」って言っていたのかなと思ったら、ひたすら生きていた息子のいのちも、向き合えなかった自分のいのちも、たまらなく懐かしくたまらなく愛おしく、あの怖くて仕方がなかった機械の音は、息子の、そして私たち親子のふるさとの音だったのだと青く輝く地球を見ながら初めてそう気がついたのでした。

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「広い広い宇宙のなかで、私たち一人ひとりの違いはとても小さい。
私たちひとりひとりのできることもとても小さい。
だからみんなで手を繋いで大きな物語を紡いでいきたいですね」
そんな語りを聞きながら、そしてみんなのいのちの息づかいを感じながら、この星空に一緒に包まれることができたことをとてもとても幸せに感じました。出会いは未来を変える。
そして、出会いつながり一緒に星を見たことは、きっと心の支えになる。どんなに重い障害があっても、たくさんの出会いがあったらいいなと思います。そして、どんなに重い障害があっても、たくさん星空を見られたらいいなと思います。

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カリヨンの杜の職員の皆さんは、職種を問わず本当に皆さん笑顔が素敵な方ばかりでした。
ひとりの重心児の母として、その明るい笑顔は何にも代え難い希望であり救いです。また訪れたい心からそう思いました。遮光スタッフでもなく、コンセント要員でもなく、一緒に星を見るために、またいつか息子も一緒に訪れることができたらいいなと思います。