病院がプラネタリウム研修・続編
8月最終の日曜日、星つむぎの村の「病院がプラネタリウム研修・続編」をおこないました。4月におこなったオンライン研修 で学び、感じたことを、コロナ禍の今の状況とともに振り返り、そして、前回もっと深めたかったテーマについて堀さげる時間でした。
ゲストトークは前回に引き続き、四天王寺大学教授でソーシャルワーカーの鳥海直美さん。参加者は村人30名ほどでした。
今回掘り下げたいテーマは「共に生きる社会の実践」、そして「エピソード記述」でした。鳥海さんが20年以上ともに歩いてきた、重い障害をもち、自ら発話する単語は4つぐらいのKくんが大学生として大勢の友人と一緒に生きてきたその生きざまは、まさしく「共に学ぶこと」が共に生きる社会をつくることの縮図。
もちろんそれは直接手をとりあって、肌で感じながら体験していくものですが、今のオンラインがなかったら出会えなかったような人たちが出会える、共に学ぶチャンスでもあります。
「病院がプラネタリウム」は、「外部」から人がやってきて一緒に星を見るという活動。その「外部」である多くのボランティアメンバーたちは一緒に見ることで、見ているみなさんからどんなことを引き出せるのか? どうしたらもっと一緒に楽しめるか? 何が寄り添うということなのか・・ そんな私たちの命題に対して、鳥海さんがお話してくれた「エピソード記述」。非言語コミュニケーションを、言語化するプロセスの中で、「客観的に」ではなく、「主観と主観の間=間主観」という考えで、それが独りよがりにならないように、複数の人たちと共有していくプロセス。
以前、名古屋大学附属病院のNICUの師長さんが、「あんなに小さい赤ちゃんが、プラネタリウムを見たあとに「どや顔」になるのよ。私もそうだな、と思ってたんだけど、多くの看護師さんがそういうの。」とおっしゃってくれたことがある。 NICUに最初に入ったころは、そのプラネタリウムはお母さんのためにやるものだとこちらが決めつけていた部分があったのだけれど、そうではない、ということをこの看護師さんたちの「エピソード」が語ってくれる。
「病院がプラネタリウム」が、一方的な押し付けにならずに、社会のさまざまな境界をとりのぞいていく活動になること。健常者・障害者という言葉がなくなり、一人ひとりを名前で呼べる社会。
簡単なことではないけれど、試行錯誤をつづけながら、対話をつづけながら、そこに向かっていきたい。あらためて、みんなで確認しあう研修会でした。