旅のこと

旅のこと

現在建設中の「星つむぐ家」の隣の土地には、星つむぎの村の事務所にもなっているアルリ舎があります。ここは、(バリアフルな建物ですが)以前から、村人やいろいろな方が遊びにきて、遠方からの方は泊まっていくことも多い場所です。「星つむぐ畑」も同じ敷地にあります。
そこでおきた、2022年の「旅のこと」。藤田優子さんが書きました。

ーー

「旅のこと」 藤田優子

ちょうど1年前のお盆のころ。

「夏は越せない」と言われていた母が、突然「山梨に行きたい」と言いました。

 

買い物や散歩に行くのも難しくなり、もう一日のほとんどの時間をベッドで横になって過ごしていた母の一日を少しでも豊かにしたくて、

病気のしんどさや不安と向き合うだけじゃない一日を過ごしてほしくて、

おそらく最後になるだろう家族旅行に連れていきたくて、

・・・いや一緒に行きたくて。

 

その夏、何度も何度も旅行に誘ったけれど、母は決して首を縦に振ってくれませんでした。

しんどいから無理。

とにかくしんどいのよ。

トイレ行くのもしんどいのに旅行なんて行けるわけない。

 

そう言い続けていた母が、突然、「私、山梨やったら行ってみたい」と言ったのです。

「あんたらがいつも行ってるとこ、行ってみたい」と。

 

明日はどうなっているかわからない母の気持ちと体。

慌てて真理子さんに連絡して、二つ返事で「ぜひ!」と言ってもらったその言葉の心強かったこと。

標高のこと、移動のこと、病状のこと、一樹の荷物に加えて母の酸素や荷物を持っていくこと・・・いろんなことを心配してくださり、提案してくださいました。

母のことに集中できるよう、先に子供たちだけ迎えに行こうか?とまで。

そんな言葉を支えになんとかこの旅を実現しようと夫婦で走り出しました。

 

☆☆☆

 

出発までの2日間は大忙しでした。

私は母を連れていきたくてたまらない気持ちと、母を置いていきたい不安な気持ちと両方の気持ちを抱えながら必死であちこちに連絡したり調整していました。

「いつ出発になっても一緒にいるから安心して!」

「お母さんとこられることをひたすら祈っています!」という跡部さんや真理子さんの言葉にざわつく心と不安な背中を支えてもらって、余計なことを考えずに、ただ前だけを見て。

 

事情を話すとその日のうちに指示書を書いてくれた往診医さん、

その日のうちに濃縮酸素を届けてくれた酸素屋さん、

お盆休み返上で点滴に来てくれた看護師さん、

そして迎えてくれる跡部さんと真理子さん。

みんなのあたたかな応援と我が家の大量の荷物も詰め込んで、出発の日を迎えたのでした。

 

「当日元気やったら行くわ。約束はできないから。」と言っていた母ですが、2日後の朝早く様子を見に行くと、母は荷造りを終えて私が作った服を着て、帽子をかぶって待っていました。

出発の約束の何時間も前なのに!

ベッドに横になっていない母を見るのはずいぶん久しぶりでした。

 

 

私があちこち走り回っていた2日間。

同じ時間を、母はひとりどんな気持ちで過ごしていたのかな、と今になって思います。

ワクワクしていたのかな?心配な気持ちだったのかな?どうにでもなれ!だったのかな。

母の胸の中はそのどれもがあったかもしれないし、そのどれとも違ったかもしれない。

でもひとり自分で着る服を自分で選んで自分でリュックに荷物を詰めている母を想像すると、きっと母は幸せな気持ちだったんじゃないかなぁと、これも今になって思えるようになりました。

 

☆☆☆

 

みんなでぎゅうぎゅう詰めに乗り込んだ車の中。

ばぁばとアルリ舎に行くのが嬉しくてたまらない子どもたちが我先にとアルリ舎のこと、跡部さんのこと、真理子さんのこと、そして東京とは全然違う星空のことを説明しているのを聞きながら、

 

「私、生まれて70年!まだ1ぺんも流れ星って見たことないわ。」と言いました。

 

それを聞いて私も夫も唯も湊も、きっと一樹も。

みんな「ばあばが流れ星見られますように!」と心から思いました。

それは祈るような気持ちでした。

 

☆☆☆

 

滞在中、母は驚くほどよく食べ、よく笑い、よくしゃべりました。

そして驚くほど元気でした。

着いた日は疲れて星を見ることなく眠ってしまった母ですが、翌朝びっくりするくらい元気に起きてきました。

 

酸素、いらん。車いす、いらん。自分で歩きたい!

今日は夜まで起きて星みたい!

 

そんな母の姿が嬉しくて、私たちも子供たちも、母の命が終わりに近づいていることなんてすっかり忘れてしまうくらいでした。

流しそうめんをおいしいおいしいと食べたり、

畑に降りて収穫を楽しむ子供たちや大きなひまわりを懐かしそうに眺めたり。

寝ている時間も多かったけれど、うとうと目を覚ますと聞こえるみんなの話し声が心地よくて、鳥の声や風の音が気持ちよくて、安心してまたうとうとしたわ、と言っていました。

 

 

テラスでカレーを食べながら、跡部さんから畑のかぼちゃの食べごろを尋ねられた母は本当に嬉しそうでした。

たったそれだけの事なのに、本当に本当に生き生きと話していました。

アルリ舎のお風呂に浸かって、「あぁ気持ちいいい、ここは天国やね」と言いました。

温泉でも何でもないお風呂なのに、なんどもなんども「あぁきもちいいい」と言っていました。

 

そして残念ながら星は見えなかったけど、「また来るわ」と言っていました。

きっと「また」はやってこないだろうと分かっていても、それでも本当にまた来るような気がするような、力強い言葉でした。

 

行ってよかった。

すこくよかった。

すごくいいところだった。

あんなに自然に迎えてくれて感激した。

あんたたち夫婦も子どもたちもあんなに心許して打ち解けているのを初めて見た。

安心しきってた。

一樹が生まれてずっと心配やったけど、あんたたちもう大丈夫やと分かったわ。

 

あの人たち、自然やわ。

あの人たち自然やから、私も自然になれる。

あの人たち飾らないから、私も飾らないでいられる。

畑、降りたかったわぁ。

 

これぜんぶ、母のことば。

そんな母の言葉を聞きながら、生きている限り人は人と出会い続けるんだなぁと感じました。

生きることは、自分と向き合うこと、だれかと出会うこと、そしてつながること。

死ぬ瞬間まで人は生き続けるんだなぁと、心からそう実感したのでした。

 

☆☆☆

 

在宅での緩和ケアが始まってから、母のアイデンティティは「末期がん患者」のみになってしまいました。

ヘルパーさん、看護さん、お医者さん、母はたくさんの人に支えてもらっていたけれど、すべては「患者」としての母でした。

それは母が自分を好きでいられるアイデンティティーとはかけ離れたものだったのでしょう。

いつも半ばあきらめ、でも必死で抵抗してもがいているかのような母を見るのはもどかしく、その葛藤に残りの時間を奪われることがもったいなくて、私はいつも苛立っていました。

 

母は、「死ぬまで誰にも謝らないし誰にも感謝しない」という決意をして、それを受け入れました。

そんな態度は見ていて腹が立ったけれど、そうすることで自分の尊厳を保ちながら「介護される自分」を受け入れている母の姿は不憫でした。だから私は、母の代わりに謝り、母の代わりに礼を言い続けることが自分の役目だと思うことにしました。

でも、本当はそうじゃなかったなぁ、と、今は思います。

固定された関係性の中の支援は、人を孤立させます。みじめな気持ちにもさせます。

その苦しさや焦りを誰より知ってるはずの私なのに、その関係性を崩そうと尽力しなかったこと、

「受け入れ乗り越える」ことを求めたこと。

すべてが過去になった今、胸が苦しくなる時があります。

 

山梨での母。

どこにそんな力が残っていたのか、夜中に布団を担いで私にかけにきました。

「肩冷やしたらあかんよ」といって私の肩まで布団をかけて、しばらく横に座っていました。

私は起きていたけど、寝てるふりをしていました。

ありがとうを言いたくないと意地を張っていたのは私だったのでした。

それに気づいたら自分が情けなくて、そう遠くない日に母を見送らなければならないことが寂しくてたまらなくて、母がかけてくれた布団の中で涙が止まりませんでした。

 

そんな切ない思いも全部まるごと受け止め包み込んでくれるかのようなあの旅の記憶に、私は今も支えられ続けています。

⭐⭐⭐

 

「私、海も行きたい。」と山梨滞在中に今度は千葉の宿を予約して、

山梨の一週間あと、信じられないことに本当に今度は海を見に行って。

 

そうして越せないはずの夏を笑顔で駆け抜けた母は、秋の訪れとともに空に旅立ちました。

夏の終わりに跡部さんが送ってくれた「食べごろ」のかぼちゃは、母が人生最後に食べたごはんでした。

☆☆☆

 

この旅で、母は母になりました。

終末期患者でもケアされる人でもなく、母は私の母になり、子どもたちのばあばになり、

そしてひとりの杭瀬さとみという人間として新しい仲間に出会いつながりながら、自分のいのちと向き合う時間を過ごしたのではないかと思うと、母はこの旅でまさに「生きていた」のだなぁと思います。

だからこそ母からたくさんの笑顔とともにたくさんの「ありがとう」が自然にこぼれたのだと思います。

 

そして私もまた、そんな母の笑顔に「ありがとう」と言わずにいられなかったのは、そこにいたすべての人があのときを「ともに生きていた」からなのでしょう。

 

たまたま目にした、とある往診医のことば

 

お薬は、ご本人にしか効かない。

でも旅をすることは、周りの人も含めてみんなに元気を与える。

 

星つむぐ家は、出会い、つながり、空を見上げ、そして自分を見つめる場所です。

「生きることの意味」が理屈ではなく確かなこととして体の内側から湧き上がるのは、そこにあたたかな仲間がいて、そこに星があるからなのだと思います。

 

いま生きていること、ともに在ること

星つむぐ家でそれを実感することが、病気や障害の有無にかかわらずすべての人にとって明日を夢見る希望の力になることを願って止みません。